僕が人を信用しない理由
まあブログを始めるにあたって大切なことは自分を知ってもらうことだと思ったので最初の方は僕がどんな人間なのかを書き連ねたいと思います。
タイトルにある通り僕は人のことを基本的に信用しません。
これだけ聞くとこいつやばいなって思われるんで詳しく説明すると、『信用』はしないけど『信頼』はします。
もちろん僕にも仲の良い友達はいるし、親友って言える人もいます。
その人たちは大好きだし、一生酒飲んで遊んでくだらないことして過ごしたいと思ってます。笑
『信用』と『信頼』。定義が曖昧ですね。てか違いがわかる人がいるのでしょうか。
広辞苑はこう定義しています。
・信用:信じて任用るすこと
・信頼:信じて頼ること
いやいやいや、広辞苑さん!!!
それ分解しただけちゃいます???
多分この定義に正解はないんでしょう。
天下の広辞苑さんも濁すのだから。笑
まぁこの2つを僕なりに定義すると
・信用:その人のために自分を犠牲にしてまで何かをしてあげたいと思うか
・信頼:何かを任せて一緒に協力したいと思うか
あれ、あんま違いなくね??笑
確かに似ていると思います。
でも微妙にニュアンスが違うと思います。というか違うと思ってます。
信用は相手に対して見返りなんか気にもせずただただ自分の感情が赴くままにすること。
信頼はそこにシナジーを生み出し、1人では行くことのできないような高みを目指すためにすること。
と勝手に思ってます。笑
とまあタイトルから少しずれたので修正すると
僕がよく冷めてる、感情が顔に出ない、感情が無い(←これよく言われるけど超失礼笑)
理由はこれです。
信頼にはぶっちゃけ人間的な感情なんていらないと思ってます。
1、何かを成し遂げたいという情熱
2、何かをより良くしようとする気概
3、それらの土台となるシナジー
この3つさえあればいいって思ってます。
人間は感情の生き物です。
おそらくそれは、多かれ少なかれ人生を歩んできた皆さんならわかると思います。
『愛』、『友情』、『親心』、『子心』ほとんどの人が感情で動いています。
僕自身もそうですし、実際僕は人間のそういう所に対してめちゃめちゃ素晴らしいと感じています。
ITが進んでいき、最近では人工知能なるものまで現れています。
そんな時代だからこそ僕は人間の温かみや温もりを大切にしていきたいと思うし、そこがなくなったら人間が人間たらしめる理由なんてないと思っています。
でもそれらの感情って何かをするってなった時邪魔になると思うんですよね。
絶対に。
学生時代の文化祭や体育祭を思い出してください。
いっつもつるんでる人やいっつも一緒にいる人とだけであれだけの規模・クオリティーのものが作れましたか?
最高のものが作れましたか?
多分ほとんどの人がそうではないと思います。
まぁ、何人かはそんなことない!!って意見があると思います。
その人たちはめっちゃ羨ましいです。
実際そういう関係で結果が出たら最高だと思ってるので。
でもほとんどの人がそうではないと思います。(2回目)
同じクラスにはいるけど普段あまり話さない人、趣味や共通項がないが故にあまり関わりがない人たちとも協力していたと思います。
その結果はどうでしたか?
読んでくれている方それぞれの胸の中に聴いてみてください。そうしたらおのずと答えは見えてくると思います。
実際そこで躓く人も多いのでは?
チームワークやチームビルディングと感情は別の話です。
最近感情が無いって言われることが多いので誤解されないためにも書いときます。